ー 互いに愛し合うとはー
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(13節)
・・・走れメロス(太宰治)の話のように、美しい友情や自らの犠牲を惜しまない話は現実にも存在します。
海難事故で自分が先に救命ボートに乗る権利があるのに他の人に譲った話や、第二次世界大戦中に北大西洋でドイツ軍に襲撃されて沈没した船に乗っていたアメリカ人牧師の話もあります。
このボーリングという牧師は、乗り合わせていた若者に、傾く船の上で「あなたはイエスキリストを信じているか?」と質問します。若者が「ノー」と答えると「私は信じているので今死んでも天国へ行けるから」と自分のつけていた救命胴衣を脱いで若者に渡し、「それをつけて生きながらえてイエスを信じ、天国へ来なさい」と言ったそうです。
この話はブロードウェイのミュージカルにもなったそうです。
素晴らしく、美しい、聖書の教えに従う美談ですが、ほとんどの人が自分の命が一番大切と考えることも現実でしょう。
そしてそれは決して恥ずかしいことではなく、それが人間の姿であるといえます。
また人は、家族のため、自分の子供のため、また愛する人のためになら犠牲を払えるでしょう。
しかし自分を騙したり盗もうとする人、危害を加えてくる人のために犠牲を払えるでしょうか?
そんな人間のために死ねるでしょうか?
イエス様はすべての人々のために十字架にかかりいのちを捧げてくださいました。
戦争を起こし、なんの罪もない人々を攻撃していのちを奪い、人々の家に入り込んで強奪するような人々を赦してその人たちのために犠牲を払えるでしょうか?
イエス様は殺人者や盗人のためにもいのちを捨ててくださったのです。
愛は理屈ではありません。
行動で示すものです。
イエス様は「…あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです」(12節)とおっしゃいました。
やってみましょう。
理屈抜きで実行してみましょう。