あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

容認する寛容さ(11月17日)

使徒の働き23章1-8節*

 

ローマ軍の千人隊長は、ローマ市民であるパウロに対してやたらなことはできないし、 正当な取り調べと裁判を受けさせなくてはならないと判断しました。そしてパウロの鎖を解き、祭司長たちと全議会の招集を命じてパウロを議会に連れて行きました。

パウロユダヤの権力者を前にして「兄弟たち!」と呼びかけ、「…私は今日まできよい良心をもって神の前に生活してきました」と釈明します。

この発言に大祭司アナニヤが「パウロの口を打て」と命じます。ユダヤ原理主義者たちは指導者のトップでさえ冷静さを失い、感情的になっていました。

パウロが過ちを犯していることを論理的・道徳的に指摘するのではなく、頭ごなしにただ嫌悪感と憎しみや恨みからパウロを断罪しようとしていました。

パウロは大祭司アナニヤに対して、「白く塗った壁」と皮肉を込めて呼びかけましたが、これはどういう意味なのでしょうか? 

古くなって老朽化した壁を漆喰で白く塗れば、古さは隠すことができますが、実はもう倒れるかもしれない危険までもが隠されてしまい、かえって危険が増すことになります。大祭司アナニヤはそういう人間だ、とパウロは言っているのです。

パウロは5節で、彼をアナニヤだと知らなかったのでひどいことを言ってしまいました、と語っています。しかしパウロはもともとパリサイ人です。大祭司アナニヤを知らないはずがありません。むしろ、アナニヤがどんな人間であるかよく知っていました。

アナニヤは強欲で、献金を着服し、ローマ帝国にこびへつらう裏切り者。とても大祭司にふさわしい人柄ではありませんでした。こんな人間を大祭司にしておくこと自体、ユダヤ人にとって危険なことだ、と言っているのです。

そしてその場にパリサイ人とサドカイ人が半々くらい集まっているのを見て「死者の復活」というキリスト教にとって信仰上大切な教義を投げかけて彼らを撹乱しました。彼らは同じ原理主義者でありながら、パリサイ派は復活を信じ、サドカイ派は信じていなかったからです。

一致を保つのは大変なことです。政治の世界では、一緒になったはずの政党がすぐにまた分裂してしまうことがよくあります。表面的に仲良くしても、心の奥深いところで受け入れられないものがあると、結局〝分裂〟ということになりかねません。

それぞれがただ主張し合うのではなく、認め、容認する…受け入れることが大切なのです。