【違いが分かりませんか?】
《ヨハネの福音書 1章19-28節》
何か面白いことやちょっと変わったことを言ったりしたりする人に、世間は注目します。
TV、雑誌、マスコミはそれを取り上げ、その人には一気にスポットライトが当たります。
イエス様が福音宣教の働きを始めたころ、すでにヨルダン川で今まで誰もやったことのないことをバプテスマのヨハネが始めていて、評判を得ていました。
彼は悔い改めた人々に水でバプテスマを授けていました。
ユダヤ教では「きよめの儀式」といい、異教から改宗した人々を水で洗い清めるという儀式がありましたが、バプテスマのヨハネは、自分の罪を悔い改める人々に水のバプテスマを授けました。
人々はバプテスマのヨハネがどうしてこんなことをするのか、何の権威によって行っているのかが気になりました。
そして、ヨハネには何か偉大な力が授けられているのではないかと考えました。
しかし彼ははっきりと「主の通る道を整えているに過ぎない。私のあとに来る方こそ救い主である」と断言しました。
古代ユダヤ人は、神の権威がこの世の権力者から授けられるということに矛盾を感じていませんでした。
この世のものは人間の権威によって与えられるでしょうが、天のものであり目に見えない神様の世界のものは、神の権威によって与えられるのです。
ユダヤのきよめの儀式も、ヨハネのバプテスマも、使われるのは水です。
目に見える世界のものです。
神の世界の、しかも、いのちあるものです。
人間世界と神のおられる世界の違いをはっきり認識しなければなりません。
自分の立場をわきまえて、バプテスマのヨハネのように忠実に力強く生きる人になりましょう。