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【詩篇 23篇1-6節/優しく諭して】
詩篇23篇はお祈りの言葉として、また多くの人を励ます言葉として、そして自分自身のための言葉として、壁掛けなどに用いるインテリアの一つとしても用いられ親しまれてきた聖書の言葉です。
コロナ禍、まだまだ感染の広がりが懸念され、多くの入院患者や施設での療養者がおり、感染したかどうかもわからないまま入院や療養もできずに自宅待機を余儀なくされている方々もいます。
いったい神様はどこへ行ってしまったのだろうという思いにもなってしまいます。
一方で国民には不要不急の外出をしないよう押し付けておきながら、自分たちは会食し、あげくに感染して症状が軽いにもかかわらずすぐに大学病院に入院できる政治家。
どうして神様はこんな社会構造をお許しになるのか・・・つい愚痴や文句を言ってしまったりします。
しかしこの詩篇23篇を読むと、神様は貧しく力のない私たちを必ず守り導いて助けてくださるんだという勇気と希望を持つことができます。
ダビデがサウル王に追われ、毎日毎日命の危険にさらされていた時、彼の支えとなったのは隣国の権力者ではなく、またサウル王に対立する軍事力を持つ軍人でもありませんでした。
目には見えないけれど、確かに生きて働いておられる唯一まことの神様でした。
神様はいつも信じる者を優しくあたたかく励まし、助け導いてくださいます。
愚痴ったり文句を言っても、罰を与えるのではなく、自分ひとりが助かって楽をすることがないよう優しく諭し、必要なものを与え、眠りを与え、導き、日々のいのちを与えてくださるのです。
どんな苦難も神様が必ず一緒に乗り越え、平和と安らぎを与えてくださいます。