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【ヨハネの福音書 5章33-39節/イエスは神なり】
怪しい宗教家が、「私は神の声を聞いた」とか「神のみ告げがあった」などと言って人を惑わせることがあります。
しかし今日の聖書37節には「・・・あなたがたはまだ一度もその御声を聞いたこともなく御姿を見たこともありません」と神様の存在について語られています。
神様は私たちの生きる三次元の世界とは違う、霊の世界に生きるお方です。
私たち人間にはその姿を見ることも、その声を聞くこともかなわないのです。
神様を知るには、神の声がどんなでその姿がどんなに麗しいかということが重要なのではなく、どのような考え方をし、どのようなことを語っておられるかが大切です。
見えない神。聞くことのできない声。
それは人間の想像力を高めることにもなりました。
人々は、もしかすると神はラジオDJのように甘い優しい声で、格好いいイケメンのお方かもしれない…そんな思いを抱いたかもしれません。
その過ちを正すため、また、ご自身がどんなお方かをわかりやすく人々に伝えようと、神様は人間の体をとって地上にやって来てくださいました。
それがイエス様です。
ユダヤの人々は神を知ろうとして一生懸命聖書を読みました。
聖書の中に神を見い出そうとしましたが、文字は人を救うことができません。
人間イエスキリストの中に神を見い出すべきでした。
しかし彼らは自分たちの描く神観の中でしか、神についてその姿を見い出すことができなかったのです。
聖書も、そしてあのバプテスマのヨハネも、イエスキリストが神であり救い主だと証言しています。
神の本質はイエスキリストにこそ見ることができるのです。