ものごとには必ず表裏があります。
同じものでも見る方向によってまったく異なることがあり、時間の経過とともに今あるものがあとにはなくなってしまうこともあります。
イエス様が十字架にかけられるという出来事は、弟子たちにとっては悲しく辛いできごとですが、一方イエス様をよく思っていないユダヤの指導者層などイエス様に反発する人々にとっては喜ばしい出来事なのです。
しかし自然の摂理として、悲しみや苦しみはやがて喜びに変わり、喜びはいずれ苦しみや悲しみに変わるものです。
女性にとって出産はまさに産みの苦しみですが、無事出産できれば一人の人格を持つ人間を世に送り出したこの上ない喜びに変わります。悲しみがあるその裏側には必ず喜びが隠れているのです。
私たち神を信じる者は、みな祈ります。
しかしいくら祈っても答えられない、与えられない、と嘆き悲しむ人が多いでしょう。
でも嘆き悲しみの裏側には喜びが潜んでいます。
「喜び」とは祈りが応えられたり、求めたものが与えられることです。
喜びの時まで求め続け祈り続けなければなりません。
そうすれば、今嘆き悲しむ人がまもなく喜び、笑い続けることになるはずです。
求めることは卑しいことではありません。
それは受けるためです。
神は私たちが喜びで満たされることを願っておられます。
神様の願いが叶えられるよう、求め、祈り続けましょう。