主よ
私の願いの声を聞いてください
詩篇140篇6節
祈らないクリスチャンは〝宝の持ち腐れ〟といえます。
「祈り」は私たちが祝福されて幸福な人生を送る上での重要な鍵を握っています。
また、天にあって私たちが相続権を有している、尽きることのない神の財宝を手にすることができるかどうかにも関わってきます。
また祈りは時に、私たちの人生における武器となり盾となってくれます。
イエス様に従ってきた弟子たちはこれまで、十字架にかかられるイエス様とその後の弟子たちのあり方について、「ぶどうの木の枝と実」とか「女性の出産の苦しみと喜び」など霊的なことがらについてイエス様からたとえ話で教えてもらっていました。
しかしイエス様は
「これからたとえ話では話しません。はっきりストレートに告げます。そして今後あなたたちは私の名前を使って自分自身で祈り求めて答えをもらいなさい。欲しいものを願い求めなさい」
とおっしゃいました。
イエス様が十字架にかかる前、人々はイエス様ご自身に願い求めて聞いていただくことができましたが、イエス様が十字架にかかり天に戻られてしまうともうそれは叶わないことになります。
しかしイエス様の姿を見ることができなくなっても、イエス様の名前を聞いて祈り願い求めることができるということです。
イエス様は私たちの求めるものを与えてくださいます。
祈らない手はありません。
祈りはクリスチャンに与えられた特権、特別優待券です。
祈ってイエス様に聞いていただき、問題を解決してもらい、求めるものをいただきましょう。
人生にはさまざまな困難や苦難があります。
神様のことを信じていても試練にはあいます。
そして「神を信じています」と言い切っても、神を裏切り否定してしまうことがあるのです。
それが弱い私たちの姿です。
神様はそんな弱い私たちの姿も知っておられます。
私たちは、自分のことは自分が一番よく分かっている、と思っていますが、実は分かっていません。
自分の言ったことを簡単に打ち消してしまういい加減ないきものです。
神はそのような私たちを赦し、勇敢であれ!と励ましてくれています。
なぜなら私たちの信じる神、救い主イエスキリストは十字架によって苦しみ、死によって悲しみましたが、死から復活し、この世に打ち勝ち勝利して天に戻られたからです。
このイエス様を信じてともに歩む人も、人生に勝利できる人です。