【第2サムエル記 22章1ー9節 】
ー誰が守ってくれる?ー
安倍元総理銃撃から早3週間が経ちました。
事件は安倍元総理を射殺した犯人の犯行そのものから、犯人の人生の背景に浮かぶ旧統一教会の存在と影響に及んでいます。
神様は私たちの問題や悩み苦しみと向かい合ってくださり、私たちに立ち向かう勇気を与えてくださり、時に助けの手を差し伸べ困難の中から救い出してくださるお方です。
決して私たちの苦しみを増大させたり、私たちの周りにいる人々まで巻き込んで悲しませたり苦しませたりするお方ではありません。
神の名を借りて、私たちを苦しみのどん底に追いやるような仕業は神のなさることではなく、悪しき人間の働きによるものです。
聖書は確かに収入の1割を神様に捧げなさいと教えていますが、借金してまで、破産するまで献金せよなどとは教えていません。
献金に関して神様は「どれほどあなた方が祝福されるか収入の1割を献げて神を試してみなさい」(マラキ3:10)とおっしゃっています。
ダビデは人生の窮地に立たされた時、必ず神様に助けを求めました。
第2サムエル記22章2−3節でダビデは神をこう評しています。
『主は我が巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。
わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。』
神様こそが私たちの人生における、最も頼りになる味方です。
神様は、助けを求める消え失せるような小さな声にも耳を傾け、主を信じて従う者を虐げる力に対して怒りを表し、立ち向かってくださいます。
神様こそ私たちを守ってくださるお方。
間違えることのないように、神様に従い、神様に助けを求めて歩みましょう。