神様を信じているにもかかわらず、私たちは日々の生活の中で目に見えない神の力をどれほど信じているでしょうか?
神が天地万物を創造され、世界の支配者であるその力を持って私たちの毎日の生活の中で働いていてくださることを、本当に信じているでしょうか?
いくら聖書の知識に精通していても、また教会の催しの熱心であっても、現に生活の中で神が私たちの人生に働いて関与してくださっていることを信じていないなら、信仰は何の意味もありません。
神の子救い主であるイエス様は弟子たちに長いメッセージを語られました(ヨハネ14:1―17:26)。
そしていつものようにゲッセマネの園に出向きお祈りしようとされました。
他の3つの福音書はこのゲッセマネの園での祈りが記されていますが、ヨハネの福音書ではここでの祈りについては省かれています。
ヨハネはこの時の出来事をまったく別の観点から伝えようとしています。
イスカリオテのユダが祭司長とローマ兵を連れてイエス様を引き渡すためにやってきました。
彼は銀貨30枚でイエス様を売り渡しました。
ユダは長きに渡ってイエス様の愛を受け、弟子たちの間で会計係という大役を担っていました。
人間はどんなに厚遇されていても、不満や不安を抱き欲求は増していくものです。
ユダは自分の待遇に満足していませんでした。
神が与えてくださっている現状に満足し喜ぶべきです。
イエス様は神であり超自然の力をお持ちです。
その力を以ってユダを改心させたりユダヤ教指導者の考えを帰させることも可能でした。
しかし神のご計画とみこころを重んじられたのです。
霊の力は自分の欲のためには働きません。
神のみこころに叶う時にこそ発揮します。
私たちにも霊の力は与えられています。神のみこころに叶うよう、霊の力を体験しましょう。