《 使徒の働き26章14-23節 》
パウロはかつてパリサイ人であった時に、〝偽救い主〟と決めつけていたイエスの弟子であった人々と、彼らの教えのもとに生きている人々を撲滅することに使命を感じていました。
そのためクリスチャンの迫害と弾圧に力を注いでいました。
そんなとき、ダマスコ途上でイエスキリストとの出会いを経験し、〝偽救い主〟と決め込んでいたイエスキリストこそ十字架にかけられ死んで、死からよみがえり、今生きて働く神の救い主であることを確信するに至りました。
パウロはその体験をアグリッパ王に語ります。
これらの出来事をパウロは「天の啓示」と呼びます。
「啓示」とは、人間の側からはどうしても知り得ないことを神の側から示してくださることです。
保守ユダヤ教徒たちにとって、救い主は十字架にかけられる罪人・人生の敗北者・受難者であるはずがありません。
彼らにとって救い主は、世界の、この世の勝利者である!という概念しかないので、天からの啓示がなければ苦難の救い主を…本当の救い主を知ることはできませんでした。
神はパウロに教えてくださっただけではなく、パウロを神の働き人…救い主の働き人として用いられました。
イエス様はパウロに「とげのついた棒をけるのはあなたにとって痛いことだ」とおっしゃいました。
パレスチナでは、農夫は牛を使って畑を耕すとき、とげのついた長い棒を持って牛を働かせます。牛がいうことを聞かない時はこの棒で牛を叩きます。牛は痛いのでこの棒をけることがありますが、蹴ってもやはり痛いだけ。農夫に従うしかないのです。
私たちも神がおっしゃれば神のことばに従うしかありません。
逆らっても無駄な抵抗。神のことばに喜んで従う人になりましょう。
神に従うことが、人生における祝福であり、勝利なのです。
きょう、神様はあなたにそれを掲示してくださっています。