《ヨハネの福音書1章43-51節》
【いろんな人がいる】
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イエス様は、バプテスマのヨハネが悔い改めの水のバプテスマを授けていたベタニヤ、ヨルダン川近辺から北上し、育った地のガリラヤへ戻ろうとしていました。
イエス様の故郷はガリラヤ湖南部で、おそらくこの近くでのことと思いますが、イエス様はピリポに出会い「私に従いなさい」と声を掛けます。
ピリポはベツサイダの出身でガリラヤ湖北部の人でした。
共観福音書ではピリポは十二使徒の一人として言及されているだけですが、ヨハネの福音書ではナタナエルを導いて重要な働きをした人物として描かれています。
信仰者にはいろいろなタイプの人がいます。
ピリポやアンデレのようにイエス様のことを積極的に他の人々に話す人もいるし、自分の心の中で噛み砕き、深く思いを巡らす人もいます。
ピリポがイエス様について話をしたナタナエルは、後者の人でした。
しかもイエス様が死から復活した後に他の弟子たちから復活の事実を聞かされてもなかなか信じようとしなかったトマスのように、ナタナエルも当初は救い主の登場を信じようとはしませんでした。
ペテロやアンデレ、ピリポのようであろうと、トマスやナタナエルのようであろうと、信仰に召し出してくださったのはイエス様です。
私たちはどういうスタイルであれ、結果、イエス様にしっかり結びついていればよいのです。
イスラエルの人々にとって「平安な人生」という概念を表す「ぶどうの木、いちぢくの木の下で暮らす」という表現があります。
どちらの木も葉がたくさん茂って日陰が多く、その枝の下に入れば心地よく過ごすことができます。
「心地よく過ごす」
その生き方は私たち誰もが探し求める生き方です。
イエス様に従う時、私たちは「ぶどうの木、いちぢくの木の下で暮らす」ことができるのです。