ー こころの中のぶどうの実ー
今日の聖書の言葉は、ぶどうの木と枝をイエスキリストと信じる人にたとえて、神様から永遠のいのちをいただいて幸せな人生を送るにはイエスキリストを自分の罪からの救い主であると信じるだけでなく、信じたあとも常にイエスキリストとともにいることであると、教えてくれています。
ヨハネの福音書は、イエス様は決して信じる者を見捨てたりはしない(14章18節)と言っているのに、今日の箇所では「私の枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみなもっと多くの実を結ぶために刈り込みをなさいます」(15:2)とか、「誰でももし私にとどまっていなければ枝のように投げ捨てられてしまいます」(15:6)とあります。
なんだか、きちんとできない者は切り捨てられ、見捨てられるように聞こえます。
でも心配することはありません。
そもそもぶどうの木は枝が四方八方にすごい勢いで伸びていきます。
そのためぶどう園では良い実をたくさん収穫するために枝の剪定を念入りに頻繁に行います。
剪定した枝はどうなるか?
ぶどうの枝は蔓状であるため何かに利用するということもできず、薪にするくらいしか使い道はありません。
また枝は、土に根を張る木にしっかりくっついていなければ実をならせることはできません。
しっかりと木に繋がり、剪定のあと必要な枝として残らなくてはなりません。
イエス様を信じる者は切り落とされず残るのだ、ということです。
これがぶどうの木のたとえ話の本当の意味です。
クリスチャンは、ぶどうの木にしっかりと結びついた枝に実るたわわなぶどうの実です。
聖書は実をいっぱい実らせるぶどうの枝を祝福し、幸せな人生を送る人として表現しています(ホセア10:1)。
「ぶどうの実」とは心の中に実る「霊の実」です。
優しさ・誠実さ・親切な思い・寛容な心・自制・忍耐・謙遜・柔和・自己犠牲の精神・赦す心 などです。
心の中に霊のぶどうの実をたわわに実らせて恵まれた幸せな人生を歩みましょう。