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《ヨハネの福音書 3章19-26節》
【鈍感な人は、ダメよ】
世の中には「鈍感な人」と呼ばれる人々がいます。
あまり良い意味や肯定的な意味では使われないと思いますが、良い言い方をすれば、「どんなときにもマイペースで楽観的な人々」ともいえると思います。
トラブルが起こっても自分のペースを乱さず、未来に悲観せず、「どうにかなるさ」的感覚で気楽に生きる人々ですが、そのマイペースなところとお気楽な部分は、周りの人々をイラつかせることもあります。
鈍感な人は細かいことがあまり気にならない、おおらかな面があるようです。
でもそれは繊細で細かいことにも気配りする人にとっては、イライラする原因にもなるでしょう。
またものごとをあまり深く考えないとも言えます。
考えないから失敗しても不安を感じないということもあります。
また流行や情報に疎いという特徴もあります。マイペースですから外からの新しいものを取り入れにくいのでしょう。
鈍感であることは良いところもあるのですが、鈍感のままだと自滅を招くことになります。
鈍感であるがために、自分の過ちや失敗に麻痺してしまい、それに気づかなくなってしまうからです。
暗闇で光が見えたら光の方へ進まなくてはならないのは当たり前ですが、鈍感な人々はそれすらできなくなってしまうのです。
人間は、「悪いことをしてはいけない」というのは分かっていても、悪にまみれた世界にいると、悪いことを続けても良心が咎めず、自責の念など湧いてこなくなってしまいます。
鈍感な心のままであってはなりません。
人間はもともと光に敏感です。
イエス様は世の光です。
良いこと、正しいことのシンボルです。
イエス様に、また光に対して敏感でいましょう。
鈍感なままでいると心を閉ざし、善悪を区別できない麻痺した心になってしまいます。
良いことと正しいこと、間違ったことや悪いことを区別できる敏感な人になりましょう。
イエス様は苦しく辛い思いをなさいますが、私たちはそれを悲しむ必要はありません。
十字架が私たちに幸福を、神の恵みをもたらしてくれるからです。