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【ヨハネの福音書 5章40-47節/悔いのない生き方を!】
2月24日、聖協団相模原キリスト教会牧師石川先生の奥様で牧師でもある芙美子先生がお亡くなりになりました。
27日に前夜式、28日に告別式が行われ、前夜式に参列してきました。
84歳。もう10年以上癌で闘病生活を送っておられたそうです。
お会いすると、小さな教会で教団の後ろ盾もない私たちの教会のために「いつもお祈りさせていただいてます」と言ってくださり、励ましを頂いていました。
私自身は病気のことも知らず、芙美子先生のためにお祈りすることもありませんでした。
天に召されたと聞き、自分の不義理を情けなく思い、嘆きました。
生きていてほしい方は次々と召され、世の中には悪人ばかりはばかるようにも思えます。
きょうの聖書のことばは、永遠のいのちと救いについて、39節の「あなたがたは、聖書の中にそれを求め調べようとしているが、聖書は、永遠のいのちや救いは『イエスキリストにある』と証言している」というイエス様のことばを受けて展開していきます。
聖書が永遠のいのちや救いがイエスキリストにあると証言しているのですから、みなイエス様のもとへ来るべきなのに、そうしようとしません。
イエス様は神様ですから、人間からの称賛など必要ありません。
しかし人間に興味がないわけでなく、人間一人ひとり全員をよく知っておられます。
イエス様は神から遣わされて地上に来ましたが、皆それを認めようとしません。
にもかかわらず人々は権力者が神の名によって語ると耳を傾けます。
権力者同士お互いに認め合っても、本当の神の権威は認めようとしません。
だからといって神であるイエス様は人々を裁こうとはなさいません。
裁きは人間の行うこと。
モーセが神から律法を授けられ、その律法によって人間の権威が人を裁くのです。
そのモーセの教えを信じない人々がどうやって目に見えない神を信じることができるでしょうか? という問いかけなのです。
人間による管理と処理を重んじるのではなく、神による審判を恐れ、神に救いを求める人になりましょう。
神様に対して悔いのない生き方をしましょう。