あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

真実を知ろう

人の日は、草のよう。 野の花のように咲く。
風がそこをすぎると、それは、もはやない。

しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
主を恐れる者の上にある。

詩篇103篇15−17節

 

 

 

 

 

 

コリンと教会への手紙 第二   5章 15−21節

15) また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。 16)  ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 18) これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、わたしたちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19)すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 20)こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神がわたしたちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 21)神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

 

                                  

日本聖書刊行会 新改訳聖書 第二版 ©︎1982)

 

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 〜真実を知ろう


本日の聖書の言葉5章20節には「…私たちはキリストの使節なのです。…」と書かれています。
使節は英語でmission―ミッションです。
 
キリスト教系の学校をなぜミッションスクールというのでしょうか? 
 
それは創立者キリスト教を広める役割を担い、キリスト教を伝える手段としての学校教育を行う使節として、派遣されてきたからです。
 
上智大学青山大学立教大学関東学院桜美林も、そもそもはキリスト教を広めるために開校した学校だったのです。
しかし残念ながらいまや法人経営の方が大切で、本来の目的は疎かになっています。
 
教師や学生の中には自分にいる学校がキリスト教主義に基づいていると知らない人たちもいます。

 

私たちは本来の目的を忘れてはなりません。

 

エスキリストの誕生を祝うクリスマスも、いまや人種・国境・宗教を超えて世界中で祝われています。

 

多くの人々はキリストが何者であるかも知らず、ただ「クリスマス? キリストの誕生日だろ?」とバースデーパーティーに便乗して大騒ぎしているだけです。

 

しかしクリスチャンはクリスマスの真の意味を忘れてはいけません。

 

それは、神が人として地上に生まれ、人類の罪の赦しのために私たちの身代わりとなって十字架に掛かりいのちを捧げてくださった尊い身代わりの死であったことです。

 

それをコリント教会への手紙第二 5章15節では「…人々がもはや自分のためではなく、自分のために死んでくださった方のために生きるためなのです」と表現しています。

 

これは、ヤクザが親分のために盲目的にいのちを捧げて仕えるのとは違います。

 

完璧な正しさ、完全な愛であられるイエスキリストに倣って生きるということです。

 

人間はしょせん罪人。

 

どうがんばっても罪を犯します。

 

私たちは善人ではありません。

悪人でありただその悪を罪を、赦されているに過ぎない者です。

 

罪赦された者として、謙虚にイエス様への感謝を忘れず生きていきましょう。

 
 


〜真実を知ろう〜【コリンと教会への手紙第二   5章15−21節 】