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【第一サムエル記15章13-22節】
ー神の喜ぶ捧げものー
サウル王は預言者サムエルがやって来たとき「…私は主のことばを守りました」と言いました。
人間はしばしば嘘をついてしまいます。
神様はサウル王に、アマレク人を聖絶しその家畜もすべて殺すように命じておられましたが、サウルが「…主のことばを守りました」と言うその背後で羊や牛の声がしていました。
人は嘘をつきますが、「自分が嘘をついているという自覚なく嘘をついてしまっている」ということもあります。
サウルの場合も、神に命じられたことの半分以上は行っていたので、〝主のことばを守った〟と言いきれたのかもしれません。
しかし100%やりきってはじめて、〝守った〟と言えるのであって、80%・90%できていても残りの10%・20%はできていないということになります。
なぜ私たちは「ごめんなさい。できませんでした」と言えないのでしょうか?
プライドでしょうか?
人間はどうも言い訳が好きなようです。
嘘の果てにサウルは、アマレク人から奪った動物は神様に捧げようとしたのだ、これは信仰によるものなのだと言い訳をします。
私たち人間は、罪人で弱き者。嘘をついたり言い訳をしたりするものです。
それを神への捧げものとすり替えてしまっていいのでしょうか?
捧げものとはいったい何でしょう?
それは神への感謝を表すもの。
純粋かつ真実でなければなりません。
神は言い訳や嘘を喜びません。
神の喜ばれるものは、神の教えに従うことです。
忍耐すること。
真実を行うこと。
過ちを謝罪することです。
神の喜ばれる捧げものをして、苦しみや悲しみを辛抱しましょう。