レビ記 19章 9−18節
9) あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落穂を集めてはならない。10) またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。11) 盗んではならない。欺いてはならない。互いに偽ってはならない。12) あなたがたは、わたしの名によって、偽って誓ってはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは主である。13)あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。日雇い人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。 14) あなたは耳の聞こえない者を侮ってはならない。目に見えない者の前につまづく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしは主である。 15) 不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しく裁かなければならない。16) 人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない。あなたの隣人の血を流そうとしてはならない。わたしは主である。17) 心の中であなたの身内の者を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。そうすれば、彼のために罪を負うことはない。18) 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。
(日本聖書刊行会 新改訳聖書 第二版 ©︎1982)
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〜神の真骨頂 それは優しさ〜
レビ記は律法の書で、一見すると堅く厳しい教えが記されています。
出エジプト記最後の40章には幕屋の建設完成について記されていますが、
レビ記1−10章には幕屋で神に捧げられる供物と幕屋での祭儀に携わる祭司のことについて書かれています。
そして11章以降は幕屋礼拝を中心とする神と
イスラエルの民の関係について、また
イスラエルの人々の生活指針について語られています。
レビ記全体の中心主題は、「律法に従って歩む者は祝福された聖い者である」という教えです。
この教えそのものが聖いと考えられていて、いまでも
ユダヤ人はまず
レビ記から学びを始めるそうです。
レビ記そのものは
モーセを第
三者として扱っていますが、全体のつながりから
モーセが著者であることは間違いありません。
教えや戒めというと、どうしても厳しい堅苦しさを思い浮かべますが、神は愛であり、哀れみと慈しみにあふれたお方です。
その戒めをよく読めば、神が優しさに満ちあふれておられることを知るでしょう。
クリスチャンは神の愛に生きる者たちです。
神の真骨頂、それは愛であり優しさです。
それは古代においても現代においても、すべての人が心から求めているものです。
神様の優しさを分かち合える人になりましょう。
私たちの知る神の愛と優しさが社会を潤し、喜ばせることができます。
厳しさではなく優しさにあふれた人になりましょう。
〜神の真骨頂 それは優しさ〜【レビ記 19章9−18節】