あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

誰も納得しない

サムエル記第2 12章24-31節

24) ダビデは妻バテ・シェバを慰め、彼女のところに入り、彼女と寝た。彼女は男の子を産み、彼はその名をソロモンと名づけた。主は彼を愛されたので、25) 預言者ナタンを遣(つか)わし、主のために、その名をエディデヤと名づけさせた。26) さて、ヨアブはアモン人のラバと戦い、この王の町を攻め取った。27) ヨアブはダビデに使者を遣わして言った。「私はラバと戦って、水の町を攻め取りました。28) 今、兵の残りの者たちを集めて、この町に対して陣を敷き、あなたがこれを攻め取ってください。私がこの町を取り、この町に私の名がつけられるといけませんから。」29) ダビデはすべての兵を集めてラバに進んで行き、これと戦って攻め取った。30) 彼は、彼らの王の冠をその頭から奪い取った。その重さは金1タラントで、宝石がはめ込まれていた。その冠はダビデの頭に置かれた。彼は、その町から非常に多くの分捕り物を持ち去った。31) 彼はその町にいた人々を連れ出して、石のこぎりや、鉄のつるはし、鉄の斧を使う仕事に就かせ、また、連れて行って、れんが作りの仕事をさせた。ダビデはアモン人のすべての町に対して、いつもこのようにしていた。ダビデとすべての兵はエルサレムに帰った。

 

                                  

(聖書  新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会           

 

ダビデのバテシェバ事件。

ダビデが主に罪を指摘されてそれを悔い改め、赦されて一件落着・・・というのでは何かすっきりしないものがあります。

 

何の罪もないウリヤは、ダビデに妻を奪われて、騙し討ちのようにして命も取られました。

 

そのままではウリヤが浮かばれません。

 

いっそダビデが神の裁きのもと、滅びるというストーリーの方が納得いくのではないかと思います。

 

しかしながら、聖書が教えようとしていることは、悔い改める者は赦されるということと、身勝手で利己的な振る舞いは、その罪が赦されたとしても多くの人の人生を狂わせ、心にわだかまりを残してしまうということです。

 

また第三者に「これでいいのか!?」という疑念を残してしまうということでもあります。

 

 

人は誰でも、良いことをしようとする自分と、悪いことをしようとする自分が心の中にいて、常に葛藤します。

 

普通は、良い自分が自分自身を支配していますが、何かちょっとしたきっかけで、悪い方の自分に支配されてしまうことがあります。するととんでもないことをしでかしてしまうことがあるのです。

     

バテシェバ事件の時のダビデもそうでした。

 

魔が差したのでしょう。

 

彼の半生を振り返ってみると、彼は決して身勝手で利己的な生き方をしていたわけではありません。

 

むしろ人の心の痛みを理解し、思いやることのできる人です。

 

それでも人は、ふとしたことで罪を犯すのです。

 

彼は悔い改めて、神から赦しを宣言されました。

しかし大きな裁きも受けたのです。

 

この事件のせいで彼の家はその後次々と厄介な問題が絶えなくなります。

 

 

人の欲望や利己的な思いは、多くの人を傷つけます。

人生までも変えてしまい、多くの人々の心に疑念とわだかまりを残します。

 

利己的な振る舞いは、一件落着しないのです。

 

利己的な思いを捨てて神のみこころを行える人になりましょう。

 

 

*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています

 

 

【誰も納得しない】 サムエル記第2 12章24-31節 〜