サムエル記 第2 8章1-11a節
1)その後(のち)のことである。ダビデはペリシテ人を討(う)って、これを屈服させた。ダビデはメテグ・ハ・アンマをペリシテ人の手から奪い取った。2) 彼はモアブを討ち、彼らを地面に伏させ、測り縄(はかりなわ)で彼らを測った。縄二本で測った者を殺し、縄一本で測った者を生かしておいた。モアブはダビデのしもべとなり、貢ぎ物(みつぎもの)を納める者となった。3) ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルが、ユーブラテス川流域にその勢力を回復しようとして出て行ったとき、ダビデは彼を討った。4) ダビデは、彼から騎兵千七百、歩兵二万を取った。ダビデは、そのすべての戦車の馬の足の筋を切った。ただし、そのうち戦車百台分の馬は残した。5) ダマスコのアラムがツォバの王ハダドエゼルを助けに来たが、ダビデはアラムの二万二千人を討った。6) ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、貢ぎ物を納める者となった。主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。7) ダビデは、ハダドエゼルの家来たちが持っていた金の丸い小楯(こだて)を奪い取り、エルサレムに持ち帰った。8) またダビデは、ハダドエゼルの町ベタフとベロタイから、非常に多くの青銅を奪い取った。9) ハマテの王トイは、ダビデがハダドエゼルの全軍を打ち破ったことを聞いた。10) トイは、息子ヨラムをダビデ王のもとに遣わし、安否を尋ね、ダビデがハダドエゼルと戦ってこれを打ち破ったことについて、祝福のことばを述べた。ハダドエゼルがトイにしばしば戦いを挑んでいたからである。ヨラムは銀の器、金の器、青銅の器を携えていた。11) ダビデ王は、それらもまた、主のために聖別(せいべつ)した。
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
日本で立身出世の代表と言えば、戦国時代に水飲み百姓と呼ばれた貧しい生活から天下人に昇りつめた豊臣秀吉でしょう。
一方、聖書にも立身出世のストーリーはいくつもあり、その一つがダビデの話です。
彼は羊飼いから身を起こし、イスラエルを当時の世界最強王国に繁栄させた人物で、
ダビデの政治的・軍事的才能は誰もが認めるところです。
そして豊臣秀吉と異なるのは、ダビデが理想的信仰者であったということです。
マタイの福音書の書き出しは
「アブラハムの子であるダビデの子イエスキリストの系図」
で始まっていて、ダビデがイスラエルの信仰の父と呼ばれるアブラハムと肩を並べて記されています。
また詩篇は、ひとまとめにして「ダビデの詩」と呼ばれることもあり、ダビデは詩人としても秀でたものを持っていました。
文武両道のスーパースターだったわけです。
しかしながら天才であったわけではありませんでした。
努力と鍛錬の末に、彼は大きな成功を収めたのです。
少年時代は羊飼いとして最良の羊飼いとなるために、獅子や熊、狼を打ち殺す術を学び、その知恵も身につけました。
盗賊に対する警戒心、天候や状況の変化に対する迅速な行動も身につけました。
自分の羊を守り愛する心は、後に王として国民を愛し守る責任感へとつながりました。
サウル王に憎まれて命を狙われた流浪の時代は、人への信頼、慈しみ、あわれみといった思いを養い、神への信頼という信仰を彼の心に植え付けました。
イスラエルが、戦いにおいて連戦を重ね、そして勝利の栄光をすべて神に帰すという模範的な信仰は、王になる前からの日々の努力と鍛錬の積み重ねがあったからなのです。
日々の努力の積み重ね。
神様はそんなことも、見ていてくださるのです。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
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