マタイの福音書 14章22-27節
22) それからすぐに、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間(かん)に群衆を解散させられた。23) 群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。24) 舟はすでに陸から何スタディオンも離れていて、向かい風だったので波に悩まされていた。25) 夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて、弟子たちのところに来られた。26) イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。27) イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
イエス様は1万人ほどの人々に食事を与えて満腹にさせると、急いでまず弟子たちを舟に乗せ向こう岸へ行かせます。
そのあと群衆を解散させ、ご自分は祈るために一人で山に登っていきました。
イエス様はなぜ弟子たちだけ先に対岸へ追いやったのでしょう。
大勢の人々を5つのパンと2匹の魚だけで満腹にさせ、その後弟子たちを対岸に送り群衆を解散させて山に登って一人で祈り、湖の暴風で舟が沈みそうになって弟子たちが助けを求め、イエス様が湖面を歩いて助けにいく…という出来事の流れ。
しかしヨハネの福音書では、5つのパンと2匹の魚で満腹になると、群衆はイエス様を王にするため連れて行こうとした、とあります。
この当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあって独立を失い、人々はユダヤの独立、自分たちの王の誕生を願っていました。
人々は、イエス様こそ王にふさわしいと考えて、政治的指導者としてかつぎだそうとしていたのです。…そういう人々もいたのです。
イエス様はその動きを察しました。
そして弟子たちにもそういう兆候があったので、群衆に先導されて弟子たちが熱狂しないように、先に行かせたわけです。
その後、ご自分は祈りの必要を覚えて山に登ります。
山の上から湖全体が見渡せたのだと思います。
すると今度は、湖上で舟に乗る弟子たちが、暴風にあって助けを求めていました。
イエス様は祈りを中断して助けに向かわれました。
湖の上を歩いて行った、とあります。
またまた奇跡が起きました。
イエス様は風を静め、波を踏みつけて弟子たちを助けに来られたのです。
イエス様は、私たちの人生における波風も、それを踏みつけ静めてくださるお方です。
人生の波風を恐れる必要はありません。
なぜなら湖上の舟の上で助けられた弟子たちのように、私たちも、人生の波風からイエス様が救ってくださるからす。
イエス様とともに歩む人生は、嵐に打ち勝つ人生なのです。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
〜【人生の波風を恐れる必要はない】 マタイの福音書 14章22-27節 〜