マタイの福音書 7章1-12節
1) さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。2) あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤(はかり)で量り与えられるのです。3) あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁(はり)には、なぜ気がつかないのですか。4) 兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。5) 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。6) 聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります。
7) 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。8) だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。9) あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。10) 魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。11) このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。12) ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
さばいてはいけないという教えは、すべての裁判を否定しているわけではありません。
罪を犯した人間は、法律に従って正しく裁きを受けなければなりません。
この言葉は、私たち人間がそもそも自分に優しくて他人には厳しく、人をさばきがちで傷つけてしまうことをいさめているのです。
人さばくことは相手を中傷することになってしまいます。
他人の過ちや欠点を指摘するなら、まず自分の中にある欠点や過ちに気づかなくてはなりません。
目にちりが入ってそれを取り除くのは、けっこう苦痛が伴います。
目の中の梁(はり)を取り除こうとしたら、、、
そもそも目の中には入りえない大きさ! 「それほどのものが目の中にある」と強調されているのです。
その苦痛はどれだけのものでしょう!
でもその苦しみを体験しなければ、他人の目のちり…欠点や過ちなど指摘できないということです。
以前冬季オリンピックで日本のスノーボード代表選手が、服装がだらしないとJOCから注意を受けたことがありました。
だらしない服装なのか、流行の着こなしか微妙なところです。
少なくともその選手はその後も代表に選ばれ、服装を注意された十代から二十代に成長し、服装も普通の青年になっていたということがありました。
“うわべで人をさばかない”ということも大切なことです。
また私たちは、分不相応なものを手にするべきではありません。
それら
は破滅に導きます。
神は、「今私に必要なものだけ」を与えてくださるのです。
欲しいものがあれば、私たちは神に求めるべきです。
努力し、探し続け、追い求め、苦労して手にしたものは大切にすることができます。
そして、夢を追い求め、頑張る人を応援できる人になりましょう。
「自分が受けて嬉しいことを、他人に対して行える人になる。」
主が教えてくださっている黄金の教えです。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
〜【黄金の教え】 マタイの福音書 7章1-12節 〜