14)祭りもすでに半ばになったころ、イエスは宮に上(のぼ)って教え始められた。15) ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は学んだこともないのに、どうして学問があるのか。」16) そこで、イエスは彼らに答えられた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものです。17) だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが神から出たものなのか、わたしが自分から語っているのかが分かります。18) 自分から語る人は自分の栄誉を求めます。しかし、自分を遣わされた方の栄誉を求める人は真実で、その人には不正がありません。 19) モーセはあなたがたに律法を与えたではありませんか。それなのに、あなたがたはだれも律法を守っていません。あなたがたは、なぜわたしを殺そうとするのですか。」
20)群衆は答えた。「あなたは悪霊につかれている。だれがあなたを殺そうとしているのか。」21) イエスは彼らに答えられた。「わたしが一つのわざを行い、それであなたがたはみな驚いています。22) モーセはあなたがたに割礼を与えました。それはモーセからではなく、父祖たちから始まったことです。そして、あなたがたは安息日にも人に割礼を施しています。23) モーセの律法を破らないようにと人は安息日にも割礼を受けるのに、わたしが安息日に人の全身を健やかにしたということで、あなたがたはわたしに腹を立てるのですか。
24) うわべで人をさばかないで、正しいさばきを行いなさい。」
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
良い学校に入り、卒業し、会社に入って良い収入を得て、良い人生を送る…。
世の中の多くの人が描く模範的人生設計かもしれません。
そこにはすべからく権威主義が存在します。
仮庵の祭りでエルサレムに上り、宮で説教をして
いたイエス様を、パリサイ人はじめ多くのユダヤ人宗教指導者は「この人は正規に学んだことがないのにどうして学問があるのか?」と驚いた、とあります(15節)。
この言葉の裏には「学校も出ていないくせに、知ったかぶりして知識をひけらかすな」的なやっかみと怒りがあったと思われます。
人間は、自分の持っている権威を振りかざしたくなるものです。
でも権威には優しさなどなく、権威が生み出すものは険悪な対立や反発に過ぎません。
自分のことを棚に上げて権威を振りかざし、過ちを強引に正当化する。
そんなやり方をだれが支持し、喜ぶでしょう。
パリサイ人たちは、イエス様が「安息日に仕事をしてはならない」という律法の規則に反して、安息日に病気の人々を癒したことを非難していました。
しかしパリサイ人たちも「生まれて8日目の子どもに割礼を施さなくてはならない」という規則を守るために、8日目が安息日に当たっても割礼を施していたのです。
パリサイ人は「それは神の教えに従った正しい行いをしているんだ」と主張しました。
そこでイエス様も「『病気を癒す』という、人に対しての健やかなる行いをして神の教えに従っている」と主張したのです。
私たちも、権威を振りかざすのではなく、神の前に正しい行いをして、人々にも神にも喜ばれる生き方をしましょう。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
〜【 優しさを大切に】 ヨハネの福音書 7章14−24節 〜