ー寛容ー
エルサレムの宮殿で語るイエス様の言葉はすべて的を得ていて合理性がありました。
そのためイエス様の前では、ユダヤ人たちが長く保持してきた価値観や常識は無力化してしまいました。
人間は自分の価値観や信念に基づいてものごとを判断するものです。
彼らは自分たちの信念や価値観を否定するイエス様を受け入れることはできず、放置できなかったのです。
でもこれはイエス様を十字架にかけたユダヤ人だけの問題ではなく、現代のわたしたちにもあてはまることです。
自分の価値観を人に押しつけていないでしょうか?
自分と異なる考えを持つ人を否定したり対立したりしていないでしょうか?
ヨハネの福音書11章に、イエス様とイエス様を慕う姉妹マルタとマリヤのやりとりが記されています。
弟ラザロが亡くなった時、マルタとマリヤが「主よもしここにいてくださいましたなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と愚痴をこぼしますが、この時のマルタとマリヤの姿は人間の限界を表しています。
自分の理性でしかものごとを判断できないのです。
神は死んだ人を生き返らせる能力をも有しているのです。
自分の価値観や信念に執着する人は神に近づくことができず、救いを逸することになります。
また自分と異なる価値観や信念を持つ人々への憎悪という罪深い感情を抱くことにもなります。
喜びをもって、異なる考えや価値観を理解し、受け入れられる人になりましょう。