ー誰だって愛されてるー
イエス様はすべての人を愛してくださいます。
たとえご自分に敵対するような人であっても、頑なにイエス様の教えを拒むような人でも、寛容な心を持って愛してくださいます。
ユダヤ教指導者たちはイエス様のおっしゃることはすべて受け入れることができませんでした。
自分たちの価値観と合致しないものはすべて受け入れられないし、仮に一致するものがあってもイエス様がおっしゃるのであれば受け入れられない。
論理的でなく感情的にしかものごとを判断しませんでした。
こうなっては話し合いはできないし、耳を傾けて聴くなどということはできるはずがありません。
イエス様がおっしゃることに難しいことはありませんでした。
イエス様が神であることを認めればすべて納得できることでした。
しかし彼らは生まれてから今まで教えられて来たユダヤ教の価値観でしかものごとを判断できないため、自分たちの価値観を優先させてイエス様をアブラハムやモーセと比較し、「偉大な先祖よりもあなたは偉いのか?」と言い出す始末でした。
そのようなことからも、彼らがイエス様を人間としてしか見ていないことがわかります。
そんなわからず屋の者たちでさえ愛し、なんとか救いに導き入れようとしてくださる。
それが神の子イエス様です。
間違いを犯していても、汚れて汚ならしても構わずに、私たちを受け入れてくださるのです。
桜美林大学のチャプレンだった新藤泰男という牧師はイエス様の優しさをこう表現しています。
…お父さんが仕事から帰ったその時、小さな息子がジュースをコップに注いで持って来てくれた。
でも持って来たジュースのコップの中に息子の指先が浸かっていて、しかも外で遊んでいたのか指先は泥だらけだった。
これが高級カフェの給仕さんなら大失態。お客さんに突き返され、お金ももらえない。
しかしお父さんは自分を思ってくれる息子を認めて受け入れ、泥入りのジュースを喜んで飲んでくれる。
イエス様の愛はそういう愛だ、と。
赦して受け入れてくれるイエス様の愛に安心して、イエス様を信じ従って歩んでいきましょう。
イエス様はどんな人でも愛してくださいます。