ー真実は笑顔・和を生み出すー
偏見や屁理屈は和を乱し、共同体に対立構造をもたらして人々に不安と不信を与えます。
例えば医者の仕事は病気の人や傷ある人を治療し癒すことであり、それは医者にとって労働行為となります。
ところでユダヤ教の教えでは安息日にはすべての労働をしてはいけないとあります。
医者も安息日には病人を癒してはならないと解釈されていました。
一方で同じ教えには困っている人や弱い人、貧しい人に助けの手を差し伸べなければならない、ともあります。
二つの教えは確かに矛盾します。
このような場合、どちらが優先されるのでしょうか?
第一コリント13章に「最も優れているもの、そして最後まで残るものは愛である」とあります。
「愛」とは動物や植物あるいは自分の仕事に向けられることもありますが、愛の主たる対象は「人」です。
私たちは何よりも「人を愛する」ことを大切にして守らなければなりません。
たとえ安息日の労働が禁じられていても、そこに愛を必要としている人がいたら愛さなければなりません。
病気の人にとって何よりの愛は癒やされることです。
困っている人や弱い人に何かをしてあげてそれが喜ばれることであれば、それは労働ではなく愛であると言えるでしょう。
偏見や屁理屈は愛ではありません。
和を大切にし人々に喜ばれ、笑顔を生み出す行い、それが愛です。
規則に従い守るのは立派なことかもしれません。
でもそれによって人々の和を乱し笑顔を消し去ってしまうのであれば神様は喜ばれないでしょう。
イエス様は数多くの規則違反をしました。
でもその行いは人々を喜ばせ、笑顔を生み、人々を和ませました。
もちろんイエス様に偏見はなく屁理屈も語りません。
あるのは真実だけです。