2022年10月17日(月)-10月22日(土)
来週のメッセージの聖書箇所を
ヒントと一緒に
毎日少しずつ読むことができます。
神さまの言葉が、
生活の中でより身近なものになりますように。
今週の聖書箇所
// ヨハネの福音書 19章34−42節 //
10/17(月)19:34-35
現実主義者はイエス様の十字架の死を認めず、生きていたのだと言います。しかし磔(はりつけ)になったイエス様の脇腹を槍で突くのを間近で見た目撃者が証言し、その瞬間、脇腹から血と水が吹き出したと言っています。主の十字架は作り話ではなく真実です。
/18(火):36-37
通常、処刑される罪人は足のすねの骨を折られますが、なぜかイエス様はそうされずに脇腹を槍で突かれました。これも神のわざ。聖書に預言されているとおりですが、ローマ兵が聖書の預言を知っているわけがなく、そこに作為はありませんでした。
/19(水):38
主の十字架の翌日は安息日で何もすることができません。墓に埋葬するためには処刑当日に遺体を十字架から降ろさなければなりません。でも急いで罪人を十字架から降ろせば、その関わりを疑われます。勇気ある行動ですが、それがなければ安息日明けの主の復活もありませんでした。
/20(木):39
アリマタヤのヨセフの行動に追従するように、ユダヤ議会の有力者であるニコデモも、もつ薬と乳香をもって遺体の引き取りに加わりました。神のための働きは必ず必要な誰かを動かします。
/21(金):40
当時、罪人として処刑されてもごく普通の庶民の一人としてユダヤの習慣にのっとって埋葬されました。人間の死に対しては、誰であれ敬意が払われるべきです。
/22(土):41-42
ユダヤの一日は夕方から始まるためまもなく安息日になってしまいます。たまたまゴルゴタの近くに空いている新しい墓があったのですが、すべてが神のご計画です。安息日でなければ遠くへ運んだか葬儀を行なったかもしれない。そうなると安息日明けの復活は? 神の関与があるとしか思えません。