【出エジプト記 33章5-14節 】
ー今日も明日もいつも共にー
フットプリントという有名な詩があります。
天に召されたある人が海岸に残され並んで歩く二人分の足跡をみて「私の人生はいつもイエス様がともに歩んでくださった」と感謝するのですが、ある場所だけ足跡が一人分しかありません。「そうだ、あれは私の人生で一番辛かったとき。あのときはイエス様は私と一緒にいてくださらなかったのですね」とたずねると、イエス様が「いや、あのとき私はあなたを背負って歩いていたんだよ」と答えます。
心動かされる詩です。
イエス様は私たちの人生がどんなときでも共にいてくださいます。
ときにはこの詩のように私たちを背負ってくださることもあります。
イスラエルの人々はエジプトの奴隷生活から解放され、モーセに率いられて荒野をさまよい歩きます。
自由を手に入れましたが、安住の地を手にするため、多くの困難がありました。
辛いことや苦しいこと、試練のたびに人々は文句を言いつぶやきました。
ときには「こんなことならエジプトにいたほうが良かった」とまで言い出す始末でした。
神様はこんなイスラエルの人々を「うなじのこわい民」と呼びます。
これは「素直さに欠け、人の助言を聞けない頑固な人」という意味です。
そもそもは自分たちが「エジプトにいたくない、助けてくれ」と言ったくせに、やれ喉が渇いた、食べ物がない、定住地もない、こんな生活いやだ」と言いたい放題でした。
最初神様は「あなたたちの先頭に立って導く」とおっしゃいましたが「もうあなたたちとは一緒に行かない」とおっしゃり、モーセに「先頭に立って行け」とおっしゃいます。
行き詰まったモーセは神様に「あなたは名指しで私を選ばれたのですから、責任を持って進むべき道を教えてください」と懇願します。
すると神様は「わかった。あなたと共に行き、あなたを休ませよう」と言ってくださいました。
神様は何があっても私たちと共にいてくださいます。