ー立派な方? 超能力を持つ神? そうそして救い主ー
イエス様は地上での生涯が終わりに近づくと、夕食の途中立ち上がり、弟子たち一人一人の足を洗い始めました。
足の汚れを洗う役割は奴隷の仕事でしたから、弟子たちは驚いて自分の足を引っ込めました。
イエス様は「なぜ私がこのようなこと意をするのか、今はわからないがあとでわかるようになります」とおっしゃいました。
つまり象徴的な事柄としてイエス様が人々の罪を聖めてくださることを示されたのです。
イエス様は「主」と呼ばれたり「師」と呼ばれたりしました。
人を導き教える立場の者は率先して人に仕える者とならなければいけないということを身をもって示されたともいえるでしょう。
イエス様は人間社会の指導者とは異なります。
ただ単に上に立つ者は謙虚であるべきだと示されたのではありません。
もしそれだけなら、イエス様も単なる偉大な指導者と変わりありません。
しかしイエス様は、神の子であり救い主なのです。
イエス様が弟子たちの足を洗い聖めたのは、イエス様こそ人間の罪を赦し聖めることのできるお方であることを示すためでした。
イエス様を見上げるとき大切なことは、イエス様の人間としての立派な行いを教訓としてその行いに倣うだけではなく、また神としての超常現象的な奇跡の力を称賛するだけでなく、イエス様が神の御子であり私たちの罪からの救い主であることを忘れずに感謝を持って見上げることです。
イエス様が私たち人間の罪を赦し、魂を救ってくださるお方であることを忘れずに、イエス様に感謝し、その教えに倣う者になりましょう。