ー信頼は愛ですー
信頼している相手に裏切られると、そのショックは計り知れないものがあります。
人は裏切ることがあります。
それが人間です。
私たちは裏切られると大きなショックと悲しみを受けます。
しかし考えてみれば、イエス様でも愛する弟子の一人から裏切られました。
裏切りとは、ありうることなのです。
イエス様は神ですから、弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りもイエス様ご自身のご計画であり、わかっていたことです。
でも私たちには、誰がいつ自分を裏切るかわかりません。
そのときどうやって対処すればいいか、また裏切られないために信頼できる人とできない人をどう判断すべきかを、イエス様から学びたいと思います。
私たちは信頼できる人・できない人をその人柄で区別します。
基本的に相手の道徳心や価値観などが、自分と同じか似ているかどうかが判断基準になるでしょう。
そしてそれが永遠不変であると決めつけてしまいます。
でもどうでしょうか?
自分自身がそうであるように、人の道徳観や価値観は時の流れや世の中の移り変わりによって変化します。
人は変わる、ということを肝に銘じることも大切です。
相手を信頼するには人柄だけでなく、その人の行動の「動機」に目を向けることが大切になります。
ペテロ・ヤコブ・ヨハネ・アンデレらがイエス様に従ったのは、イエス様が好きだという純粋な動機でした。
しかしイスカリオテのユダは、イエス様と一緒にいれば儲かるかもしれないう、という不純な動機だったのです。
不純な動機は、自分の欲望を満たせないとなると、平気で裏切るということになります。
イエス様はイスカリオテのユダの裏切りを冷静に受け止めました。
人は裏切ることがあります。
でも慌てる必要はありません。
やりたいようにさせてあげましょう。
そして裏切られないように、人柄が良いというだけでなく、人の行動の動機に目を向けていましょう。
そして裏切られたとしても「一人の人を信頼した」という事実を喜びましょう。
信頼は愛の要素の一つだからです。