〜Advent 第1週〜
【イザヤ書 7章10-17節 】
ー神の祝福をいただくのに遠慮は無用ー
彼は不信仰で邪悪な王でした。
しかし実はイザヤ自身も気づいていないことでしたが、イザヤが神から見せられた幻には2800年前の目の前の現実と主に800年ほどのちの救い主誕生の幻もあったのです。
アハズやイザヤをはじめとする南ユダ国民の目の前の現実とは、当時勢力を広めていたアッシリヤ王国の軍事的脅威でした。
アハズ王は目の前の脅威を拭い去るためにアッシリヤと不可侵条約を結びますが、アッシリヤがその条約を反故にするのは目に見えていました。
イザヤはアハズに神からの言葉として、そもそもアッシリヤの脅威や北イスラエルとアラムの横暴はアハズの不信仰と神への裏切りからくるものであると戒め、悔い改めて神に立ち返るようにと求めます。
しかしアハズは「…私は主を試みたりはしません」と嘘ぶいて神に従おうとしませんでした。
これに対して、「アハズ王を助けユダ王国を救うのは神しかいない」と、イザヤは神に見せられた幻を伝えるのです。
実はこの「神の救い」こそが、目の前の現実に対するものではなく、800年のちの救い主イエスキリスト誕生の預言だったのでした。
アハズは自分は正しい者であるかのように、「主に助けを求めて主を煩わせはしない」などと言っています。
しかし神の言葉を素直に受け取らないことは謙虚でも何でもありません。
単なる不従順です。