あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

Advent 第1週  神の祝福をいただくのに遠慮は無用(2021.11.28)

f:id:FITchurch:20211127204825p:plain

主よ。今、私は何を待ち望みましょう。 私の望み、それはあなたです。 詩篇39章7節
 

〜Advent 第1週〜

イザヤ書 7章10-17節 】

 ー神の祝福をいただくのに遠慮は無用ー


今から2800年ほど前、イスラエル民族の国である南ユダ王国の王はダビデからえて14代目の王、アハズでした。
 
彼は不信仰で邪な王でした。
エルサレムの神殿に先住民のんでいた異教の偶像を持ち込み、国民に偶像をむことを奨励しました。
 
そんな最とも言える王に預言者イザヤは悔い改めを求めて、神の言葉を伝えました。
 
しかし実はイザヤ自身もづいていないことでしたが、イザヤが神から見せられた幻には2800年前の目の前の現実と主に800年ほどのちの救い主誕生の幻もあったのです。
 
アハズやイザヤをはじめとする南ユダ国民の目の前の現実とは、当時勢力を広めていたアッシリヤ王国の軍事的脅威でした。
そして混乱に乗じて南ユダ王国の領土を侵す北イスラエル王国とアラムの横暴でした。
 
アハズ王は目の前の脅威を拭い去るためにアッシリヤと不可侵条約を結びますが、アッシリヤがその条約を反故にするのは目に見えていました。
 
イザヤはアハズに神からの言葉として、そもそもアッシリヤの脅威や北イスラエルとアラムの横暴はアハズの不信仰と神への裏切りからくるものであると戒め、悔い改めて神に立ち返るようにと求めます。
 
しかしアハズは「…私は主を試みたりはしません」と嘘ぶいて神に従おうとしませんでした。
 
これに対して、「アハズ王を助けユダ王国を救うのは神しかいない」と、イザヤは神に見せられた幻を伝えるのです。
 
実はこの「神の救い」こそが、目の前の現実に対するものではなく、800年のちの救い主イエスキリスト誕生の預言だったのでした。
 
アハズは自分は正しい者であるかのように、「主に助けを求めて主を煩わせはしない」などと言っています。
 
しかし神の言葉を素直に受け取らないことは謙虚でも何でもありません。
単なる不従順です。
 
ヨハネ福音書13章8節で、イエス様が弟子たちの足を洗おうとした時、遠慮したペテロが「私の足をお洗にならないでください」と言いますが、主はそんなペテロに「必要のない謙遜は自ら神の恵みをいただくことを拒絶していることになる」と諭しました。
 
エス様は私たちの救い主です。
 
私たちの罪の身代わりのために神様がくださったプレゼントです。
 
遠慮せずに受け取り、神の祝福に預かりましょう。