イエス様は祈りについて私たちにしばしば教えてくださいました。
ルカの福音書11章1-4節で弟子の一人が「…私たちにも祈りを教えてください」とお願いすると
「このように祈りなさい」とおっしゃって《主の祈り》を教えてくださいました。
それからマタイの福音書6章5節では「祈りは偽善者のようであってはならない」
「人に見せびらかすかのように振る舞うな」とおっしゃっています。
またマタイの福音書18章19節では
「みなで祈りの課題を共有して、心を一つにして祈るように。そうすれば祈りは聞き届けられる」
ともおっしゃっています。
《祈り》とは私たちが神の力を体験するための、神とコミュニケーションをとる大切な手段です。
今日の聖書のことばは、イエス様の祈りの言葉です。
その内容は十字架の出来事のあと、地上に残されるイエス様を慕う者たちを案じた、イエス様を信じる人々を守ってくださるようにという、いわゆる《とりなしの祈り》でした。
そもそも、自分や自分につながる家族、友人、仲間たちのために、またまったく知らない人々のためにも祈ることはできます。
もともと人間は利己的な生きものですから、自分のためや仲間のためには進んで祈ることができるのです。
ですから祈りにおいて特筆すべきは、まったく見ず知らずの人々のために祈る《とりなしの祈り》です。
「あなたを呪う者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい」
とおっしゃいました。
祈りの真髄の一つは、「自分の知らないない人や関係ない人のために祈ることができる」ということです。
とりなしの祈りは、祈りの真髄です。
他人のために祈る大切さを忘れずに祈る人になりましょう。