今日の聖書の言葉、ヨハネの福音書17章1-10節には「栄光を現す」「権威を与える」「栄光で輝かす」「すべての人を支配する」など、人間の煩悩とも取れる誇示欲や名声への欲のようなものが見て取れます。
イエス様がこのようなものを求め、望んだ通り手に入れたようにも聞こえますが、もちろんそうではありません。
イエス様はそもそも神ご自身ですから、求めなくても最初から栄光に輝き、すべてのものを支配する権威を持っておられます。
イエス様の十字架のみわざも神の栄光の表れです。
イエス様の場合、地上で過ごされた人間としての時間のすべてが栄光で輝いていましたが、その輝きのクライマックスが十字架の贖いと死からの復活であったといえます。
クライマックスとは「もっとも盛り上がる最高潮のこと」です。
十字架のみわざはまさに、イエス様が地上で現した神の栄光の輝きの最高潮といえるでしょう。
人間イエスは十字架のみわざの完遂によって天に戻られました。
すなわち、人間から神に戻られたのです。
「我々はどこからきてどこへ行くのか?我々は何者か?」
というタイトルの作品を描いています。
これは人類共通の命題でもありますが、今日の聖書の箇所がこの命題にはっきり答えています。
我々は神から命を与えられ、霊をいただき、地上の命を全うしてそののち、与えてくださった神の元へと戻るのです。
神によって造られた人間もやはり、この地上にいる間、神の栄光を現して生きるのです。
オリンピックをはじめ、スポーツ競技は、勝利という栄光を求めて競います。
勝利者は栄光を手にします。
そもそもこの栄光も神様が与えてくださったものであり、神様のものです。
人間は勝利によって神の栄光を現したに過ぎません。
栄光は神にお返しし、神の栄光を現すために用いられたことに感謝できる人になりましょう。
そして代わりに『謙遜』というトロフィーをいただきましょう。