〜新しい家族〜
ヨハネの福音書 19章 25−33節
25) 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻にマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。26)イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。27) それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。28)この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。 29) そこには酸(す)いぶどう酒の入った入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口元に差し出した。30) イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして頭をたれて、霊をお渡しになった。31) その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。32) それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もう一人の者とのすねを折った。33) しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。
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十字架刑は、手の甲と足の甲を釘で磔(はりつけ)用の木に打ちつけられ、何をされるでもなくただそのまま死を待つという残酷なものでした。
イエス様が十字架に磔(はりつけ)にされている間、イエス様の母マリヤとその姉妹、クロパという人の妻マリヤとマグダラのマリヤがじっと見守っていました。
何もできない自分たちの弱さとイエス様を奪われた悲しみの中で、彼女たちの心の内は言い表すことのできない悲しみと虚しさで満ちていたことでしょう。
そこにはイエス様の男性の弟子たちも幾人かいました。
その弟子たちに向かい、イエス様は「そこにあなたの母がいます」と言い、また母マリヤに向かって「そこにあなたの息子がいます」と言われました。
広辞苑によると「家族」とは「血縁関係によって結び付けられた夫婦、家族などの小集団」とあります。
辞書とは結構いい加減なものです。
そもそも夫婦の間に血縁関係など存在しません。
イエス様は生活を共にする弟子たちを家族と考えていました。
その家族に対してイエス様はある時こうおっしゃいました。
「疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。
家族とは、疲れ傷ついた仲間を休ませ、慰め、励まして明日を生きるエネルギーを与え合える関係であり、心休まる居場所です。
イエス様は「わたしの十字架の死、その後起こる復活と昇天によって、血縁関係だけではない新しい関係の家族が誕生する」とおっしゃったのです。
私たちにはそれぞれの家族があります。
そしてさらにイエス様を罪からの救い主と信じる信仰によって、新しい家族をも形成していくことになったのです。
家族は私たちの人生に安心感や幸福感を与えてくれる存在です。
どちらの家族も大切に、そして家族に励まされて歩んでいきましょう。