あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

Only One !

一切れのかわいたパンがあって
平和であるのは
ごちそうと争いに満ちた家にまさる

箴言17章1節

 

 

 

 

 

 

コリント人への手紙 第一 12章 14−26節

14) 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。15) たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。16) たとい、耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。17) もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。18) しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。19) もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
20) しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。21) そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。22) それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。23) また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさら尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官はことさらに良いかっこうになりますが、24) かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。25) それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。26) もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

 

                                  

日本聖書刊行会 新改訳聖書 第二版 ©︎1982)

 

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 〜Only One !

 
このコリント人への手紙の第一・第二はともにコリントの町にあったいくつかの教会へ書かれた手紙で、回覧状でした。
誰か一人の個人に宛てて書かれたのではなく、教会に関わるすべての人に読んでもらうために書き記されました。
 
コリントは使徒の時代、ギリシャにある都市の中でアテネに次ぐ第2の都市でした。
大都会であるがゆえに、人々の道徳倫理観は腐敗し、教会も世俗化しており、教会内の価値観にも相違が生まれ、指導者不足もあって教会は分裂という危機的状態にありました。
 
パウロはコリントの諸教会が抱えるこういった問題解決のため、また教会の信徒たちを励ますためにこの書簡をしたため送りました。
 
分裂分派を戒め、教会の統一すなわちイエスキリストを信じる者たちが一つになることを求めました。
 
教会を人間の体にたとえて、体に統一性があるように教会というキリストのからだの一部である私たちも、統一性を持って一つであることを説明しています。
 
私たちはみな一つの体であり、一人ひとりが体を形成する器官なのだというのです。
 
運命共同体という言葉がありますが、イエス様を信じる私たちは教会という共同体に属しています。
 
共同体は各個教会一つ一つ別々なのではなく、同じイエスキリストの体を構成するパーツなのです。
 
確かにこの世には多くの教会があり、みな別々に礼拝をし、別々の働きをしていますが、本当の教会である霊的教会は天にあります。
 
霊的教会は一つであり、信じる者はすべてイエスキリストの体につながる器官の一つであることを忘れないでください。
 
一人一人がイエスキリストのいのちの一部です。
一つの体に属しているのです。
 


〜Only One!〜【コリント人への手紙第一   12章14−26節