イザヤ書 7章10-17節
10) 主はさらにアハズに告げられた。
11) 「あなたの神、主に、しるしを求めよ。
よみの深みにでも、天の高みにでも。」
12) アハズは言った。「私は求めません。
主を試みません。」
13) イザヤは言った。「さあ聞け、ダビデの家よ。
あなたがたは人々を煩(わずら)わすことで足りず、
私の神までも煩わすのか。
14) それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。
見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
15) この子は、悪を退けて善を選ぶことを知るころまで、
凝乳(ぎょうにゅう)と蜂蜜を食べる。
16) それは、その子が悪を退けて善を選ぶことを知る前に、
あなたが恐怖を抱いている二人の王の土地が見捨てられるからだ。
17) 主は、あなたとあなたの民とあなたの父の家に、
エフライムがユダから離れた日以来、まだ臨んだこともない日々をもたらす。
それはアッシリアの王だ。」
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
今週はアドヴェントの3週目です。
今から2800年ほど前、イスラエル民族の国である南ユダ王国の王はダビデから数えて14代目の王、アハズでした。
彼は不信仰で邪悪な王でした。
エルサレムの神殿に先住民の拝んでいた異教の偶像を持ち込み、国民に偶像を拝むことを奨励していました。
そんな最悪とも言える王に預言者イザヤは悔い改めを求めて、神の言葉を伝えたのです。
しかし実はイザヤ自身も気づいていないことでしたが、イザヤが神から見せられた幻には、2800年前の目の前の現実とともに、800年ほどのちの救い主誕生の幻もあったのです。
アハズやイザヤをはじめとする南ユダ国民の目の前の現実とは、当時勢力を広めていたアッシリヤ王国の軍事的脅威でした。
そして混乱に乗じて南ユダ王国の領土を侵す北イスラエル王国とアラムの横暴でした。
アハズ王は目の前の脅威を拭い去るためにアッシリヤと不可侵条約を結びます。
しかしアッシリヤがその条約を反故(ほご)にするのは目に見えていました。
イザヤはアハズに神からの言葉として、「そもそもアッシリヤの脅威や北イスラエルとアラムの横暴はアハズの不信仰と神への裏切りからくるものである」と戒めました。
そして、悔い改めて神に立ち返るようにと求めます。
しかしアハズは「…私は主を試みたりはしません」と嘘ぶいて神に従おうとしませんでした。
これに対して、イザヤは「アハズ王を助けユダ王国を救うのは神しかいない」と、神に見せられた幻を伝えるのです。
実はこの「神の救い」こそが、目の前の現実に対するものではなく、800年のちの救い主イエスキリスト誕生の預言だったのでした。
アハズは自分は正しい者であるかのように、「主に助けを求めて主を煩わせはしない」などと言っています。
しかし神の言葉を素直に受け取らないことは、謙虚でも何でもありません。
単なる不従順です。
ヨハネの福音書13章8節では、イエス様が弟子たちの足を洗おうとした時、遠慮したペテロが「私の足をお洗にならないでください」と言いますが、主はそんなペテロに「必要のない謙遜は自ら神の恵みをいただくことを拒絶していることになる」と諭しました。
イエス様は私たちの救い主です。
私たちの罪の身代わりのために、神様がくださったプレゼントです。
遠慮せずに受け取りましょう。
そして神の祝福に預かりましょう。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
〜【神の祝福をいただくのに 遠慮は無用】 イザヤ書 7章10-17節 〜