アモス書 3章3-8節
3)約束もしていないのに、二人の者が一緒に歩くだろうか。
4) 獲物もないのに、獅子が森の中で吼(ほ)えるだろうか。
何も捕らえていないのに、若獅子がその洞穴(ほらあな)で声を上げるだろうか。
5) 罠も仕掛けられていないのに、鳥が地の鳥網(とりあみ)にかかるだろうか。
何も捕らえていないのに、鳥網が地面から跳ね上がるだろうか。
6) 角笛が町で鳴らされたら、民は驚かないだろうか。
町にわざわいが起こったら、主がそれをなされたのではないか。
7) まことに、神である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、
何事もなさらない。
8) 獅子が吼える。誰が恐れないでいられよう。
神である主が語られる。誰が預言しないでいられよう。
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
その活動期間は数ヶ月だったろうと言われています。
長い期間神に用いられるから立派なのではなく、短い期間でも神様は必要な働きのために私たちを用います。
アモスが預言したのは、北イスラエル王国滅亡の30年ほど前でした。
北王国ではバアル礼拝が盛んでした。
神様はこの悪習慣を正すためにエリヤ、エリシャ、ヨナと続けざまに預言者に警告の預言をさせますが、偶像礼拝は止まず、北イスラエル王国は滅亡の歩みを止められませんでした。
エリヤはモーセと並ぶ大預言者であり、エリシャはそのエリヤに見出された後継者、そしてヨナは、父もアミタイという預言者でした。
しかしアモスは、いちじくを育てる田舎の農民でした。
それでも必要があれば、神は導きだして用いてくださいます。
彼はヤロブアム2世時代の北イスラエル王国において、北イスラエルの宗教的政治的堕落と王の悪政を激しく非難するメッセージを語りました。
当時の北イスラエルは経済的繁栄は手にしたものの、偶像礼拝があふれ、人々の生活は貧富の差が激しく、決して良い世の中ではありませんでした。
アモスは聖書に精通していたわけではありませんでしたが、よく祈り、信仰的な人でした。
信仰的なアモスを神は用いました。
神が伝えるメッセージを、アモスは人々に語らずにはいられませんでした。
祈りや証しの言葉は、立派である必要はありません。
語るべきことは、神様が私たちに語ってくださいます。
アモスのように、「語らずには、祈らずにはいられない」それが本来の信仰者の姿です。
立派な聖書の知識など必要ありません。
神に用いられ、神の与えてくださるメッセージを、「語らずには、祈らずにはいられない人」になりましょう。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
〜【I can’t stop prayingー祈らずにいられない】アモス書3章3−8節 〜