28) すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」29) イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」30) それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちがあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。31) 私たちの先祖は、荒野(あらの)でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」32) それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。私の父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。33) 神のパンは、天から下(くだ)って来て、世にいのちを与えるものなのです。34) そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」35) イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。36) しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。38) わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。39) わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、終わりの日によみがえさせることです。40) わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
イエス様は
「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(6:35)
とおっしゃいました。
私たちの肉体は、食べても少し経てばまた腹が減り、水を飲んでもしばらくするとのどが渇きます。
そのたびにまた食事をし、のどを潤します。
それは生きている間は限りなく繰り返されていきます。
しかしイエス様は自分自身がいのちのパンであり、いのちの水であるとおっしゃっています。
人間として地上においでになった神の子イエスが、食べ物であるはずがありません。
イエス様は比喩としてこんな言い方をなさいました。
いのちのパンーーー。
パンはそもそも生きるため肉体に必要な食糧のことです。
肉体はすなわちいのちですが、イエス
様が「いのち」とおっしゃる時の意味は「この世界における肉体のいのち」という意味ではありません。
それは「本当のいのち」、つまりいのちを構成する肉体と魂の合わさったものを意味します。
そして肉体と同様に魂にも食事…パンや水が必要なのです。
しかし魂の食事は、いわゆるパンと水ではありません。
魂に必要なパンや水とは、常に満たされた思いで安心していられることです。
人間はどんなに財産を築いて、名声や名誉を手に入れようとも、心が満たされなければ本当の満足を得ることはできません。
イエスキリストが、私たちに真の満足を与えてくださいます。
イエスキリストというパンは最高に美味しいパンです。
お腹がいっぱいになるだけでなく、胸もいっぱい、魂を満腹にしてくれるのです。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
〜【本当に美味しいパン】 ヨハネの福音書 6章28-40節 〜