あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

クリスチャンは欲深くて構わない(3.19)

◎体調を崩して更新が遅くなりました。すみません!

一切れのかわいたパンがあって
平和であるのは
ごちそうと争いに満ちた家にまさる

箴言17章1節

 

 

 

 

 

マルコの福音書 10章 17−30節

17)エスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまづいて尋ねた。「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」18) エスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。19) 戒めはあなたも知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。」20) その人はイエスに言った。「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」21) イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従ってきなさい。」22) すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである23)エスは、周囲を見回して、弟子たちに言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう24) 弟子たちはイエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて彼らに言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、なんと難しいことでしょう。25) 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しいのです。」26) 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
27)エスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。28) ペテロがイエスにこう言い出した。「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従ってきました。」29)エスは言われた。「まことに、まことにあなたがたに言います。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は、30) 今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来るべき世で永遠のいのちを受けます。…」

 

                                  

(聖書  新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会

 

               *  *  *
 

 〜クリスチャンは欲深くて構わない〜(2023.3.19)

 

エス様はしばしば人々から神の国のことについて、また律法の解釈についての質問を受けました。

その質問は純粋なものと、パリサイ人らのようにイエス様を陥れようとするようなものとがありましたが、今日の聖書の17節に登場する人の質問は純粋なものでした。

 

「永遠のいのちを獲得するためには、自分は何をすべきか」

一見真っ当な質問のように聞こえますが、身勝手な質問とも言えます。

 

なぜなら自分のことしか考えていないからです。

 

「何かをしたら何かを得られる」・・・ギブアンドテイクの思考回路です。

 

神の国はこの世のものではありません。

霊の世界に存在するものであり、この世の思考回路で成り立つものではないのです。

 

エス様はこの人に対して19節で、戒めについて語り始めます。

 

この戒めとは、モーセ十戒のことですが、イエス様は順番通りにはおっしゃっていません。

10のうち6まで唱えられましたが、「父と母を敬え」と言ったところまでで、この人はイエス様の言葉を遮るように「…わたしはそのようなことは子どもの頃からすべて守ってきました」と言い放ちます。

 

傲慢で利己的な態度です。

 

私たちはいつでも謙遜に、自分が至らない者であることを認めるべきです。

 

人間は律法を完璧に履行することはできないのです。

また人間は律法を利用して、律法を盾に自己保身をしたり、自分の利益を主張したりもするのです。

 

エス様はこの人に「あなたには欠けたことが一つある」とおっしゃいます。

そして「…あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従ってきなさい。」と語りかけました。

 

カルト教団はこの言葉を巧みに利用して、信者に土地財産を売却して教団に寄付するように迫りますが、それも神の教えを利用した勝手な解釈です。

 

エス様はこの人に、「あなたには愛がない。人を憐れむ心が欠けている。そして神の国に目を向けていない。この世の物質的なものにしか思いが向いていない」とおっしゃったのです。

 

エス様を信じて従っていくのに家や財産を手放す必要はありません。

父母兄妹と縁を切る必要もありません。

 

そういうことではなく、

他の人々のために犠牲を払うことを忘れてはならない、

ということです。

 

クリスチャンは素朴で質素な生活をしなくてはならないと考える人がいますが、そうではありません。

 

犠牲を払うことを惜しまない愛の人になるということです。

 

私たちは物質的な祝福を求めることも許されています。

 

エス様に従う人は100倍の祝福を受ける(30節)とあります。

 

欲深く神様の祝福に期待して、祝福を分かち合える愛の人になりましょう。

 


〜私の宝はどこにある?〜【ルカの福音書   12章22−34節