使徒の働き 5章25-33節
5) そこへ、ある人がやって来て、「ご覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、宮の中に立って人々を教えています」と告げた。26) そこで、宮の守衛長は下役(したやく)たちと一緒に出ていき、使徒たちを連れて来たが、手荒なことはしなかった。人々に石で打たれるのを恐れたのである。
27) 彼らが使徒たちを連れて来て最高法院の中に立たせると、大祭司は使徒たちを尋問した。
28) 「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。お前たちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」29) しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。
30) 私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。
31) 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。32) 私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」33) これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
想定外のことが起きると、人は慌てます。
さらにそれが、自分に害を及ぼすかもしれないとなると、影響が及ぶのを何とか食い止めようと必死になります。
事件の沈着化を図り、なんとかもとの平和を取り戻そうとするのは、実は自分のため。
自分の利益のためです。
自分は悪者にはなりたくない。
いや、自分は悪者ではなく善人である、悪いのは他者である、と考えます。
それは人間の本性かもしれません。
ユダヤ教指導者に捕らえられ、投獄された使徒たちは、神の御使いの手によって牢から解放されました。
そんなことはつゆ知らず、裁くために使徒たちを牢から連れ出してくるよう番人に命じた指導者たちは、使徒たちが牢から抜け出して再び神殿で教えている、と想定外の報告を受けて当惑しました。
なんとかしなければ自分たちの立場に危険が及ぶかもしれない。
が、しかしもはや使徒たちは人々から多くの賞賛や信頼を得ており、慎重に扱わなくてはいけない。
その事実はさらに彼らユダヤ人指導者たちの心を騒がせました。
すべて悪いのはイエスの弟子たち。
使徒たちであると決めつけたのです。
自分のことが大切な人は、理不尽な怒りを燃え上がらせます。
憎しみでいっぱいになり殺人も厭わなくなります。
一方使徒たちは神に従うことのみを考え、権力を恐れずに正しいことを貫こうとしていました。
彼らには「冷静沈着な心」がありました。
世の中は理不尽なことがあります。
想定外のことがしょっちゅう起こります。
でも神にすべてをゆだね従って生きる人には、平和が、静けさがあります。
使徒たちのように、いつでも、何が起こっても、「冷静沈着」でいられますように。
そのために、神の声に耳を傾け、聴く人になりましょう。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
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