使徒の働き 8章35-40節
35) ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。36) 道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官(かんがん)は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」38) そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。39) 二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰っていった。40) それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って、福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
ピリポは神の御声に聞き従い、サマリヤからガザへ行きました。
人家もない場所でエチオピアの女王カンダケの宦官(かんがん)の隊列に出くわします。
ピリポはこの隊列の馬車に乗る人(宦官)に話しかけます。
それは彼が声に出して読んでいた旧約聖書のイザヤ書53章について「意味が分かりますか?」というものでした。
人がいるはずのないところに人がいる。
しかもエチオピアの女王に仕える高い地位の人、そしてそれはイザヤ書を読む求道者。
すべては神の備えられたものでした。
ピリポは偉そうに教えるのではなく、宦官の求めに応じて福音を語っただけでした。
聖書は…聖書だけでなく書物は、普通黙読するものです。が、彼が「音読していた」というのも神のなせる業(わざ)です。
聖書は読んでも全然わからないというものではありませんが、小説とも物語とも
違います。
もちろん教科書とも違います。
理解するには導き手、すなわち教えてくれる人がいればわかりやすいのは確かです。
ピリポはエチオピアの宦官の導き手になりました。
決して押し付けず、また高い目線から見るのでなく、相手の立場に立っていました。
相手に尊敬の心をもって、友好的に、接する相手の幸せを考えた接し方です。
イエス様が私たちの幸せを考えてくださるように、他の人々の幸せを願いましょう。
人に喜ばれる生き方。
それを、気負わず気張らずにできること。
ピリポはそんな生き方を心がけたのではないでしょうか?
私たちもピリポの生き方から学びたいと思います。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
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