マタイの福音書 27章28-40節
28) そしてイエスが着ていた物を脱がせて、緋色のマントを着せた。29) それから彼らは茨(いばら)で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦(あし)の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまづき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。30) またイエスに唾(つば)をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。
31) こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。32) 兵士たちが出ていくと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。33) ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち「どくろの場所」に来ると、
34) 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。35) 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。36) それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた。37) 彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲(かか)げた。38) そのとき、イエスと一緒にいた二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。39) 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。40) 「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
今日の聖書は、イエス様がローマ兵に捕えられ十字架につけられる直前の場面から始まります。
ロ–マ兵はイエス様の着ていた服を脱がせ、イエス様に緋色・・・赤い色の上着を着せました。
赤は王の色でもあったので、ローマ兵はイエス様の罪状の1つ「自分をユダヤの王と言っている」を表そうとしたわけです。
この時点でイエス様は体をムチ打たれていたので、もうほとんど朦朧(もうろう)としていたと考えられます。
その朦朧として抵抗できないイエス様に、王を表そうと冠として近くにあったいばらを編んでかぶせました。
いばらの大きく鋭いとげが、イエス様の頭皮に食い込み血が流れたでしょう。
また王の持つ笏(しゃく・杖のようなもの)にみたてて葦の棒を右手に持たせました。
ローマ兵はイエス様と、そしてユダヤ人をあざ笑うためにこんな格好をさせ侮辱しあざ笑ったのです。
ユダヤ人であるパリサイ人や祭司長たちにとって、イエス様を憎み排除することが、実はユダヤ全体がローマ人に差別され侮辱の対象になってしまったのでした。
「天に向かってつばをはく」という例え通り、悪い企みの報いは、そのまま自分にかえってきます。
だから、私たちは悪事を企んだり、人を陥れたりしてはならないのです。
イエス様は刑が執行されるゴルゴタの丘まで、法に従って自分で十字架を担いで行かなければなりません。
ムチ打たれて朦朧としているイエス様にはもうその力がありませんでした。
ローマ兵は、たまたま歩いていたクレネ人シモンを捕らえ、無理やり彼に十字架を担がせました。
このことは、ローマ人が当時支配者として支配地域で何でもできたことを示す出来事です。
イエス様がゴルゴタへ到着すると、ローマ兵が、罪人が麻酔代わりに飲まされる苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしました。
しかしイエス様はそれを断ります。
兵士たちはイエス様を十字架につけ、盗人のようにイエス様が着ていた服を奪ってくじを引いて分け合いました。
そして他の2人の強盗と一緒に、刑はいよいよ執行されます。
集まったやじ馬たちは、イエス様をののしっていました。
やりたい放題、言いたい放題の人々の中にあって、ぶどう酒で苦しみを和らげることも断り、ひとり苦しみを受け、勝手し放題の人々を優しく見守ってくださるイエス様。
それはまさしく私たちが汚れた思いや、勝手な言い分で行動するのを優しく見つめて赦し、諭してくださる姿です。
私たちがどんな悪に手を染めても、イエス様はいつも共にいて、私たちを見捨てることはありません。
イエス様の愛に感謝し、私たちもイエス様のように、人々の真の友でい続けたいと思います。
〜【罪人の友】 マタイの福音書 27章28-40節 〜