【ただあなただけ】
《ヨハネの福音書 1章6-13節》
キリスト教は人間の手で作った像を拝みません。
自然界の大木や大岩や、山や海が神であるという思想もありませんし、善行を積んで死後神になるという思想もありません。
カトリック教会ではキリスト教布教において立派な功績を挙げた人を聖人として、神に近い存在と考え、崇めたり礼拝の対象としたりすることがあります。しかしこれは大きな間違いです。まねてはなりません。
二千年前の人々の中には、イザヤの預言「荒野に呼ばわる者の声がする『主の道を整えよ。荒地で私たちの神のために大路を平らにせよ』」(イザヤ40:3)ということばにバプテスマのヨハネを重ね合わせて彼を特別な存在として崇めようとする人々も数多くいました。
しかしながら、今日の聖書のことばにもあるように、ヨハネは世の光ではなく、光であるイエス様の証し人、証人にすぎません。
主役はあくまでイエス様です。
ローマ法王がひときわ目立って、人々から崇められるのも間違いです。また大教会の牧師が崇められるのも見当違いです。
同様にたくさん献金をした人や、立派な功績を残した人が偉大な信仰者なのではありません。
イエスキリストを信じる者はみな、血筋によらず、人の行いによらず、ただ救い主イエスキリストの恵みと憐みによるのです。
私たちは、偉大な世の光であり人類の救い主の証人にすぎません。
イエス様だけを崇める、正しい信仰によって歩みましょう。