あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

あきらめない。常にチャレンジ(2021.3.14)

 

 

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きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、

神はこのように装ってくださるのです。

ましてあなたがたには、どんなによくして下さることでしょう。

ルカの福音書12章29節

 


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ヨハネ福音書 6章1-9節/あきらめない。常にチャレンジ】

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 今日の箇所は、5千人の人々と大麦パン5つで満腹にさせたイエス様の奇跡の業が行われる直前のことです。

ピリポとイエス様の会話の場面ですが、神と人間という対比で見るとその違いがよくわかると思います。

 

エルサレムからガリラヤへ戻られたイエス様一行は、ナザレやカナ辺りで神の国について伝え、テベリヤ湖(ガリラヤ湖)西中央部沿岸の町々マグダラから対岸(といっても北東の方向になりますが)へ渡ろうとしていたようです。

 

マグダラ近辺ではイエス様の行う癒しの業をひと目見ようと、噂を聞きつけた人々が集まり大変なことになっていました。

 

10節の記述で、5千人の人々が集まっていたとありますから、現代の感覚なら5万人くらい集まって密になっていたようです。

 

大勢の人々が押し掛ける様子を見て、イエス様はピリポに「どこからパンを買ってきてこの人々に食べさせようか」(5節)とたずねます。

ピリポは「めいめいが少しずつ取るにしても200デナリのパンでは足りません」(200デナリ=現在の100万円くらい)と答えます。

 

6節に「イエス様はピリポを試した」とあり、「ご自分では、しようとしていることを知っておられた」とあります。

 

エス様は神としての立場から、「人間が求めているのならそれを与えよう、与えることができる」という発想ですが、

ピリポは人間としての目や理性で見て考え、「無理だ」という発想です。

 

さらに9節では少年が大麦パン5つと小さい魚2匹を持っていましたが5千人もの人々に食事として与えるには足りない、とあきらめています。

 

ここが、神と人間の違いです。

 

人間は理性を超えるとあきらめてしまいます。

 

しかし神はあきらめません。

 

神には「不可能」の文字がないからです。

不可能のない神を信じる私たちは、何ごともあきらめる必要がないのです。