今日の箇所17-18節には
「弟子たちのうちのある者は互いに言った。『しばらくするとあなたがたはわたしを見なくなる。しかしまたしばらくするとわたしを見る』また『わたしは父のもとに行くからだ」』と主が言われるのはどういうことなのだろう。……主が言われるのはなんのことだろうか。わたしたちには主の言われることがわからない』と言った」
とあります。
主であるイエス様は神ご自身です。
人間には神様のことを完全に理解することなどできません。
神様のことについて人間が知ることのできる範囲はごくごく一部にしか過ぎません。
神が宇宙全体であるとするなら、人間ひとりひとりの存在は宇宙にある星のひとつに過ぎません。
それくらい神と人間のスケールの大きさには差があります。
ですから神を知るのには、一度にすべてを、数多くを知ることはできないのです。
神を知るためには段階を経なくてはなりません。
神の教えも啓示もそれを受け入れる人間の能力に合致していなければなりません。
子どもが数学の勉強をするときにいきなり二次方程式からとはいかず、ひとつひとつ順を追って学ばなくてはならないように、徐々に難しいものへと発展していくわけです。
神様が人間に教えてくださるものも順を追って理解できるものから徐々に難しいものへと発展していきます。
旧約聖書で、約束の地入植の時に神は繰り返し「先住民を聖絶しなさい」「皆殺しに」とおっしゃいました。
なんて残酷な…と思います。
でも霊的に無知であったイスラエル民族にはわかりやすく、その命令が精一杯でした。
それはイスラエル民族を偶像礼拝から守るために最もわかりやすい命令でした。
当時イスラエルの人々は自分たちの信じる神こそ本当の神であると伝えて説得するツールがなかったからでした。
今は聖書があり、聖書に基づいて神を伝えることができますが当時は聖書がありませんでした。
ですから唯一まことの神を知らない偶像礼拝者は一掃するように、とおっしゃったのです。
神様のすべてをいきなり知り尽くすことはできません。
少しずつ順を追って知っていきましょう。
私たちの内に住む聖霊は、神についても私たちの成長に応じてわかりやすく教えてくださいます。