あなたを癒すもの

礼拝メッセージ ー聖書のことばを、一緒に。

神は生きている

  第2サムエル  22章36-51節

36) あなたは御救(みすく)いの盾を私に下さいます。あなたの謙遜は私を大きくします。
37) あなたは私の歩みを広げられ、私のくるぶしはゆるみません。38) 私は、敵を追ってこれを根絶やしにし、絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。39) 私が彼らを絶ち滅ぼし、打ち砕いたので、彼らは立てず、私の足もとに倒れました。40) あなたは、戦いのために私に力を帯びさせ、向かい立つ者を、私のもとにひれ伏させました。41) あなたは、敵が、私を憎む者どもが私に背を見せるようにされました。私は彼らを滅ぼしました。42) 彼らが主に目を留めても、救う者はなく、答えもありませんでした。43) 地のちりのように、私は彼らを打ち砕き、道の泥のように、粉々に砕いて踏みつけました。44) あなたは、民の争いから私を助け出し、国々のかしらとして保たれました。私の知らなかった民が私に仕えます。45) 異国の人々は私にへつらい、耳で聞くとすぐ、私に聞き従います。46) 異国の人々は打ちしおれ、砦から震えて出て来ます。47) 主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神。48) この神は私のために、復讐する方。諸国の民を私のもとに下(くだ)らせる方。49) 神は、敵から私を携え出される方。あなたは、向かい立つ者から私を引き上げ、不法を行う者から私を救い出してくださいます。50) それゆえ、主よ、私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。51) 主は、ご自分の王に救いを増し加え、主に油注がれた者ダビデとその裔(すえ)に、とこしえに恵みを施(ほどこ)されます

 

                                  

(聖書  新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会           

 

“神は生きている”という言い方は、神様がどういうお方かを表現する上でふさわしいのかどうか判断が難しいと思います。

 

“神は生きている” という表現は、実は聖書には数多く記されていますが、 “主は生きている” という表現がより多いように思います。

 

日本人は古来から汎神論・多神論の神概念を持つ国民なので、神を無機質な存在ととららえているため、“神が生きている”という言葉があまりピンと来ないかもしれません。

 

しかし古代イスラエル社会の人々にとっては “神は生きている” という思いが強かったようです。

 

これは明らかにイスラエルの人々が信じる唯一まことの神が、異邦人が拝んでいた偶像の神々に対してまったく異なる存在であることーーー形がなく目で見ることも手で触れることもできないが、確かに存在していて、いのちがあり、力があることを確信するための言葉だったのでしょう。

 

神様は生きておられるからこそ、ダビデを助け、イスラエルを守って下さったのです。

 

先住民がいくら偶像に祈っても偶像は答えず、ダビデの率いるイスラエルの民は彼らの信じる生ける神の助けの手を頂くことができました。

 神様は生きて働いておられます。

 

だから私たちが辛い時や苦しい時、行き詰まった時、私たちの声を聞いて助けて下さるのです。

 

生きて働く神は歴史に名を残す偉人たちだけの神ではありません。

 

私たち平凡な人間の、日常生活の中でも働いて、私たちを助けてくださいます。

 

この神様を私たちも生きている間に賛美し、礼拝し続けましょう。

 

 

*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています

 

 

【神は生きている】 第2サムエル  22章36-51節 〜