マタイの福音書 26章71-75節
71) そして入り口まで出て行くと、別の召使いの女が彼を見て、そこにいる人たちに言った。「この人はナザレ人イエスと一緒にいました。」72) ペテロは誓って、「そんな人は知らない」と再び否定した。73) しばらくすると、立っていた人たちがペテロに近寄って来て言った。「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」74) するとペテロは、嘘なら呪われてもよいと誓い始め、「そんな人は知らない」と言った。するとすぐに鶏(にわとり)が鳴いた。 75) ペテロは「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て行って激しく泣いた。
ヤコブの手紙 3章2節 a
私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
聖書は、失敗した者を責めず、非難せず、受け入れ、慰め、励ますよう教えています。
ペテロが、大祭司カヤパの家の庭で、イエス様を3回も「知らない」と言った裏切り行為。
これは確かに彼の人生における大失敗でした。
彼自身も、そのことをよく認識していたはずです。
この出来事は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書すべてに記されているのですが、ペテロがイエス様を「知らない」と言ってしまった事実は、他の弟子たちはみな知りませんでした。
確かにヨハネもカヤパの家の庭に入り込んでいましたが、ペテロと一緒ではありませんでした。
ですからペテロ自身がマタイやマルコ・ルカ・ヨハネに語ったのでなければ弟子たちはこの事実を誰も知り得なかったのです。
恐らくペテロは、「私は3度もイエス様を知らないと言って裏切ってしまった。にもかかわらず、イエス様は、責めたり非難したりせず、私を受け止めてくださった。」と語ったのだと思います。
イエス様が捕らえられる前、弟子たちはみな最後の食事の席で「どんなことがあってもあなたについて行きます」と言いました。
にもかかわらず、わずか数時間後に武装集団がやって来てイエス様を捕らえると、みなイエス様を置き去りにして逃げ出したのです。
誰がペテロを責められるでしょうか?
むしろほとんどの弟子たちが、われ先に逃げ出した中、ペテロは恐れずに剣を振るい、また自分も捕まるかもしれないカヤパの家までついて行ったのです。
イエス様が捕らえられたことを誰よりも悲しみ、そして自分の醜さや罪深さを誰よりも認識したのはペテロ自身です。
熱血漢ペテロは、愛の人となって、キリスト教布教に努めました。
私たちも、人の失敗や過ちを責めず、赦して受け止める、愛の人になりたいと願います。
〜【勇気・失敗・愛・感謝】 マタイ 26章71−75節/ヤコブ3章2節a 〜