9) すると、大勢のユダヤ人の群衆が、そこにイエスがおられると知って、やって来た。
イエスに会うためだけではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。
10) 祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。
11) 彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
12) その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、
13) なつめ椰子(やし)の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
14) イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。
15) 「恐れるな、娘シオン。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
16) これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、
これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。
17) さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせたときにイエスと一緒にいた
群衆は、そのことを証(あか)しし続けていた。
18) 群衆がイエスを出迎えたのは、イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。
19) それで、パリサイ人たちは互いに言った。「見てみなさい。何一つうまくいっていない。見なさい。
世はこぞってあの人の後について行ってしまった。」
(聖書 新改訳2017/©︎2017 新日本聖書刊行会)
今週はアドヴェントの2週目です。
さて、ユダヤの一大イベントである過越の祭りが始まろうとしていました。
人々は、奇跡をおこなうイエス様と、イエス様の奇跡のわざによって死から生き返ったラザロを見ようと、エルサレムに押しかけていました。
あまりの人気と人々の支持を得るイエス様を妬んだ祭司長とパリサイ人らは、イエス様を捕らえようとしました。
さらにそれだけでなく、イエス様の奇跡のわざの生き証人とも言えるラザロまで殺してしまおうと相談し合っていたのです。
権力者が自分にとって都合の悪い証拠を隠滅しようとする・・・
それはとんでもないことであり、一般民衆を欺(あざむ)く行為です。
自分たちの利害のために事実を隠す。
人間は真実をさしおいて、自分の利益を優先させる時、由々しき事態に立ち入ろうとしていることを肝に銘じなければなりません。
イエス様は祭司長やパリサイ人らの企(たくら)みを恐れずに、自分の進むべき道をゆくため、エルサレムに入城します。
過越の祭りを祝うためにエルサレムに来ていた人々は、こぞってなつめ椰子(シュロ)の枝を取り、イエス様を出迎えました。
そして大きな声で
「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
と口々に叫びました。
自分たちも気づかないまま、聖書の預言に従っていたのです。
これは詩篇118篇25−26節や、ゼカリヤ9章9節にある救い主エルサレム入城の預言でした。
弟子たちもそのことに気づいたのは、十字架の出来事の後でした。
意識しようがしまいが、神のご計画は粛々と進んでいき、成就します。
そしてまたこの時、「このままでは自分たちの思い通りにならない」と焦り、強引に自分たちの計画を実行していくパリサイ人や祭司長たち。しかし結果として、その強引さによって神の計画を推し進める手伝いをしたのです。
神様のご計画やみこころを知るにはどうしたらよいのでしょう。
それは、祈りをとおして神様と交わり、また聖書を読む生活を大切にすることです。
*人名・地名等の表記は最新版の新改訳聖書2017にできる限り則っています
〜【神のみこころを知るために】 ヨハネの福音書 12章9-19節 〜